母への感謝を込めてお祝いする日を母の日として決めている国は世界でもたくさんあります。
その国によって日付は違いますが、イタリアでも日本と同じ5月の第二日曜日にフェスタ デッラ マンマ(Festa della Mamma)として祝われます。
母の日はいつからはじまった?
母の日のはじまりは、19世紀後半アメリカの社会活動家であるアン ジャーヴィス(Ann Jarvis)さんとその娘のアンナ ジャーヴィス(Anna Jarvis)さんによって形作られました。
母の日の創始者 アン ジャーヴィス
アン ジャーヴィスさんはアメリカ国内の南北戦争が終わった頃、未だわだかまりが残る北部と南部の間に立ち、それぞれの地域の母たちとイベントや講義を通して友情や愛の大切さ、戦いの無意味さを伝えました。
その活動は多くの人の心を打つものでした。
詩人家 ジュリア ウォード ハウ
その他にも女流詩人家で政治活動家でもあるジュリア ウォード ハウ(Julia Ward Howe)さんは、1870年に"母の日宣言(Mother's day proclamation )"を発し、戦争を望まない母親としての立場を守ること、平和の大切さを訴えました。
母への愛 アンナ ジャーヴィス
アン ジャーヴィスさんが亡くなってのち、娘のアンナ ジャーヴィスさんは母親の功績を記念する会を開き、多くの人はアン ジャーヴィスさんを称えるとともに、娘のアンナさんの母に対する愛情に感動し、母を敬うことの大切さをおぼえたのです。
このできごとはアメリカ中に広まり、1914年にアメリカのウィルソン大統領によってアメリカの記念日として正式に母の日が制定されました。
イタリアでの母の日の歴史
ファシズム政権と母の日
イタリアで初めて母の日として祝われたのは1933年、ファシズム政権による政治が行われていた時代です。その時代の母の日は12月24日のクリスマスイブと同じ日に祝われ、"母と子どもの日(giornata della mamma e del fanciullo)"とよばれました。
実際には母への感謝を表すというものではなく、ファシズム政権による子作り促進のための宣伝的イメージが強いものでした。
戦後の母の日
第二次世界大戦後になるとファシズムによる母の日の要素は薄れていき、2つの面で母の日が祝われるようになります。
一つ目は1950年代にはアッシジの教区司祭により、カトリック教会の中での母の象徴的存在の聖マリアの月を祝うための宗教的記念日として、また二つ目はリグーリア州の花屋による多くの種類の花が咲く5月の商業的なイベントの一環として、5月に母の日が祝われるようになります。
1959年にはポンペイのロザリオの聖母の日にちなんで5月8日にうつり、最終的には現在の5月の第二日曜日に決まりました。