【ジョヴァンナ2世とレナート1世】アンジュー家によるナポリ支配の終止符 -Giovanna II d'Angiò Durazzo e Renato I d'Angiò Valois-
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人物紹介

"男好き"なジョヴァンナ女王

ナポリ王であったラディズラーオ1世には子供がいなかったため、姉であるジョヴァンナがナポリ王を受け継ぐこととなります。

ジョヴァンナはかなりの"男好き"であったことでも知られています。夫の他にも多くの愛人がいて、宮廷内の寝室には頻繁に若い男たちが招かれていました。その多くは一度きりのもので、愛情といったものではなく、単純にジョヴァンナの趣味であったといいます。

不幸な男たちは一夜を過ごした後に当時の王宮であったカステルヌオーヴォの地下に落とされ、クロコダイルの餌食となっていたという伝説もあります。

後継者で苦労するアンジュー家

ジョヴァンナがジョヴァンナ2世としてナポリ女王の座に着いたのは1414年で、その時点ですでに41歳という高齢でした。

即位した翌年の1415年に2度目の結婚をするものの、子どもには恵まれませんでした。もはやアンジュー・ドゥラッツォ家に後継者がいなくなってしまったため、ジョヴァンナ2世は1421年にアラゴン王であったアルフォンソ5世を養子としてナポリに向かい入れます。

アルフォンソがナポリ王となるはずでしたが、翌年の1422年にジョヴァンナ2世は心変わり。ナポリ王の座をかけて争っていたライバルともいえるヴァロワ・アンジュー家ルイ3世・ダンジューをナポリ王の後継者とすることに決めます。

こうして父の代からの悲願のナポリ王が約束されたルイ3世・ダンジューでしたが、ジョヴァンナ2世が亡くなる前の年である1434年に31歳という若さでこの世を去ってしまいました。再び跡継ぎを探す必要が出たジョヴァンナ2世は遺言でルイ3世・ダンジューの弟のルネ・ダンジューをナポリ王に指名して1435年死去。ルネ・ダンジューはナポリ王レナート1世としてナポリの王座につきます。

アラゴン王トラスタマラ家のナポリ進出

これをよく思わなかったのが一度ナポリ王の座に手が届きかけたアラゴン王アルフォンソ5世です。1435年にジョヴァンナ2世が亡くなると、レナート1世がナポリの王になるのは不当だとして、ナポリへ攻め込みました。当時のアラゴン自体はそこまで強いわけではありませんでしたが、レナート1世に反対するナポリ貴族やポンツァ島での戦い後に相互支援の条約を結んでいたミラノからの援軍の力も加担し、7年間の戦いの末にレナート1世はフランスへ追い出される形となりました。

レナート1世はナポリの街を愛していたため、その後も取り戻そうと試みるものの失敗に終わっています。シャルル・ダンジューからはじまり、約200年間にもわたったアンジュー家のナポリ支配はここで終止符がうたれ、トラスタマラ家による支配がはじまります。

ジョヴァンナ2世

ジョヴァンナ2世
画像引用: wikipedia
ナポリ王ジョヴァンナ2世
家系アンジュー・ドゥラッツォ家
出生ー死去1373年6月23日ー
1435年2月2日(61歳)
両親カルロ3世
マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ
オーストリア公ヴィルヘルム
ラ・マルシュ伯ジャック2世
子どもなし

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レナート1世 (ルネ・ダンジュー)

レナート1世
画像引用: wikipedia

ナポリ王レナート1世
家系ヴァロワ・アンジュー家
出生ー死去1409年1月16日ー
1480年7月10日(71歳)
両親ルイージ2世(ルイ2世・ダンジュー)
ヨランド・ダラゴン
イザベル・ド・ロレーヌ
ジャンヌ・ド・ラヴァル
子どもジャン2世
ヨランド
マルグリット
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