【フェデリーコ1世】アラゴン、フランス両国から裏切られた王 -Federico d'Aragona-
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人物紹介

親戚であるトラスタマラ家の裏切り

若くして亡くなったフェッランディーノに代わりナポリ王の座に就いたのはフェッランディーノにとって叔父であるフェデリーコでした。フェデリーコは比較的穏やかで親しみやすい性格であったといわれています。

そんなフェデリーコによるナポリは長く続きませんでした。ナポリをしつこく狙い、我が物にしようと企むフランスの王であるルイ12世は、密かにグラナダでアラゴン王、シチリア王でもあるカトリック王フェルディナンドと南イタリアをそれぞれ獲得するための協定を結びました(協定ではカンパニア州・アブルッツォ州はフランスへ、カラブリア州・プーリア州はスペインへと分割されるはずでした)。

フェデリーコにとって親戚でもあるフェルディナンドの裏切りによって、フェデリーコによるナポリの政権はわずか5年で終わりを迎え、ナポリはフランス王ルイ12世の手に渡りました。ただし、フランス王ルイ12世による支配もほんの一瞬のものでした。

フェデリコ1世
画像引用: wikipedia
ナポリ王フェデリーコ1世
家系トラスタマラ家
出生ー死去1452年4月19日ー
1504年11月9日(52歳)
両親ドン・フェランテ
イザベッラ・ディ・キアラモンテ
アンナ・ディ・サヴォイア
イザベッラ・デル・バルツォ
子どもカルロッタ
アンナとの間に1人

フェルディナンド
ジュリア
などイザベッラの間に5人

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