6月2日はイタリア共和国の誕生を祝う建国記念日(Festa della Repubblica)です。
実は南北が統一されて歴史の浅いイタリア、その経緯を見ていきましょう。
国民投票による選択
イタリアでは第二次世界大戦でムッソリーニによるファシズム政権が崩壊し、新たにどのような政治を行うか国民投票によって決められました。
その国民投票が行われたのが1946年6月2日です。
国民投票では共和制か君主制かの二択で行われ、共和制に賛成が12,718,641票、君主制が10,718,502票という僅差で共和制が採択されました。
これにより、サヴォイア家のウンベルト二世(umbertoⅡdi savoia)は廃位、国外追放となりました。(ちなみにサヴォイア家の子孫であるエマヌエーレ・フィリベルトは芸能界でも活躍中 笑)
常に6月2日ではなかった?
はじめて建国記念日として祝われたのは国民投票が行われた2年後の1948年6月2日でした。その後約30年間は毎年その日に祝われました。
ですが、1976年に起きたフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州での地震をきっかけにイタリアは経済危機に直面し、翌年1977年からは経済的影響を考慮して、平日の就業日を削らないために、6月の第一日曜日が建国記念日として祝われます。
2000年に入り再び6月2日が祝日として固定されました。
ふたつのイタリアの存在
国民投票結果の内訳を見てみましょう。
・共和制 54.3%(12,718,641票)
・君主制 45.7%(10,718,502票)
・無効票 1,498,136票
このデータを見てもわかるように国民投票の結果は非常に僅差のものとなりました。
イタリア国内の意見が共和制と君主制を巡って真っ二つに分かれていて、ふたつのイタリアが存在していることがわかります。
そしてこのデータを北と南の地域別に見てみるとその理由が見えてきます。
・共和制 71.6%(487,039票)
・君主制 28.4%(193,414票)
・共和制 68.0%(1,152,832票)
・君主制 32.0%(542,141票)
・共和制 21.1%(241,973票)
・君主制 78.9%(903,651票)
・共和制 39.0%(379,861票)
・君主制 61.0%(594,686票)
北ではほぼ共和制を支持。
南ではほぼ君主制を支持。
この結果からもわかるように、北と南では全く考え方も違うということです。果たしてこれは一つの国にするべきなのか 笑
現在でも料理、仕事、サッカー、なんにつけても北と南はライバル関係にあります。別々の国としての歴史の長さを見れば、北と南の壁がなくなり、本当の意味でのイタリアになるにはもう少し時間がかかりそうです。