イタリア解放までの歴史
4月25日はナチズム、ファシズムからの解放を記念する日です。
ファシズム、ナチスドイツ軍のイタリア占領は1945年4月25日を境にしだいにミラノ・トリノなどの北イタリアから手をひき、その後現在のイタリア共和国の姿へと復興が進められました。
第二次世界大戦でのイタリア
第二次世界大戦で連合国に対し劣勢な状況が続いていた枢軸国のイタリアは、連合国による1943年7月のシチリア島上陸・占領(ハスキー作戦)により、敗戦が決定的となります。
1943年7月25日未だに徹底抗戦を主張していたイタリアの首相ムッソリーニは反体勢力によって首相職を解任されて、グランサッソにあるホテルに監禁されました。
イタリアの降伏
ムッソリーニの後に首相となったピエトロ・バドリオは水面下で連合国と休戦交渉を進め、9月8日にイタリアの無条件降伏が宣言されました。
また、翌日9月9日にパルチザンやレジスタンス運動を統率するためCLN(イタリア国民解放委員会)が結成され、イタリアの解放への中心的組織として活動することになります。
ファシズム イタリア社会共和国の建国
イタリア王国の降伏を知った同じ枢軸国であるナチス・ドイツ軍はイタリアへと進駐します。
その過程でヒトラーはドイツ軍にグランサッソのホテルを襲撃することを命じて、ムッソリーニを救出しました。救出されたムッソリーニはイタリア王国を「不名誉な裏切り」と唱えて、北部のサロを拠点とするイタリア社会共和国(サロ共和国)を建国します。
内戦のはじまり
降伏することで連合軍に占領され、共同参戦国となったイタリア王国は1943年10月13日にドイツへ宣戦布告。
その結果ファシズム・ムッソーリニとナチス・ドイツ軍が支配する北部イタリアと南部のCLNを中心としたイタリア王国(共同参戦国)との間で内戦がはじまります。
ムッソリーニ政権の崩壊
イタリア社会共和国は連合軍を前に劣勢を強いられ、ローマまで占領していた領地はしだいに北へ北へと後退していきました。北部での反ファシズムはイタリア社会共和国によりいったん収まっていましたが、しだいにパルチザンとよばれるゲリラ軍によるレジスタンス運動が北部で活発化します。
ムッソリーニはCLNやイタリア王国との交戦を望まず、レジスタンス運動などへのも報復しないこと伝え、連合軍とのみ戦いを継続したいとCLNと交渉しました。
そんな交渉もむなしく1945年4月25日、CLNAI(イタリア国民解放委員会 北イタリア支部)はドイツ国防軍が連合国と休戦交渉をしていることを知ると、イタリア社会共和国の無条件降伏を要求しました。
もはや敗戦が確実となったムッソリーニはその日のうちにミラノから去らざるをえなくなりました。
ムッソリーニの最後
ムッソリーニの逃走計画には諸説あり、スイスやスペインへ逃亡するつもりだったのではないかといわれていますが、ムッソリーニがイタリアに対して非常に強い愛国心を持っていたため、イタリアから出るつもりはなかったともいわれています。
ムッソリーニはコモ湖周辺へと向かい、そこで南イタリアへ退く途中のドイツ軍と合い、ともにトラックで移動中にパルチザンの一団の検査に遭遇し、身柄を確保されました。
ムッソリーニは捕らえられた翌日の28日にパルチザンの一団からミラノから出向いたCLNAIに身柄は引き渡され、近くの街でその他のファシスタもろとも銃殺処刑されました。
ミラノへと運ばれた遺体は、ファシズムの終わりと反逆者への見せしめとして逆さづりにして公開されました。
"Bella Ciao" 反ファシズムを歌った楽曲
イタリアは第二次世界大戦を降伏という形で終わらせましたが、上記したようにそこから内戦がはじまり、人々はムッソリーニ政権のファシズムに対し反発する動きが活発化しました。
この"Bella Ciao"はそんな反ファシズムの中心にいたパルチザンによって内戦中に歌われていた歌といわれています。作詞・作曲ともに誰かは不明で、民衆の間で広まり、内戦が終わった後も「自由を勝ち取ったことへの讃美歌」といった意味で、国際的に歌われるようになりました。
最近ではNetflixのスペインドラマ「ペーパーハウス(La Casa de Papel)」の中でも度々流れていて、若い世代にも知られるきっかけとなりました。
Una mattina mi sono alzato
o bella, ciao! bella, ciao!
bella, ciao ciao ciao!
Una mattina mi sono alzato, e ho trovato l'invasor.
O partigiano, portami via
o bella, ciao! bella, ciao!
bella, ciao ciao ciao!
O partigiano, portami via, ché mi sento di morir.
E se io muoio da partigiano
o bella, ciao! bella, ciao!
bella, ciao ciao ciao!
E se io muoio da partigiano, tu mi devi seppellir.
E seppellire lassù in montagna
o bella, ciao! bella, ciao!
bella, ciao ciao ciao!
E seppellire lassù in montagna, sotto l'ombra di un bel fior.
Tutte le genti che passeranno
o bella, ciao! bella, ciao!
bella, ciao ciao ciao!
Tutte le genti che passeranno, Mi diranno "Che bel fior!"
È questo il fiore del partigiano,
o bella, ciao! bella, ciao!
bella, ciao ciao ciao!
È questo il fiore del partigiano, morto per la libertà!