【カルロ3世】啓蒙主義の先駆け ナポリ国民に愛された国王 Carlo III di Borbone-
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人物紹介

ナポリの歴代の王の中でもナポリに最も大きく影響を与えた人といっても過言ではないのが、ブルボン家のカルロ3世です。スペイン領属であったナポリで、文化・芸術の発展に力を注ぎ、ヨーロッパの先進国へと押し上げました。

オーストリアからのナポリ奪回

カルロ3世はスペイン国王フェリペ5世と2番目の妻エリザベッタ・ファルネーゼとの間に生まれた子供(フェリペ5世としては第5子)です。スペイン王の継承権は最初の妻マリア・ルイーザとの子どもであるフェルナンド6世にあったため、母親のエリザベッタ働きによりパルマ公の称号が与えられます。

当時、スペイン継承戦争によってナポリはオーストリアの領土となっていましたが、オーストリア・ハプスブルク家のカール6世は男子系の後継者がおらず、娘のマリア・テレジアに家領を継承させるために周辺国からの不利な交渉を強いられていました。

そんな中起きたポーランド継承戦争でオーストリアを相手に優勢に立つと、カルロ3世は1735年弱冠19歳という若さでナポリへ入城し、ナポリ王カルロとして国王の座につきます。ナポリとしてはカルロ7世になるのですが、数字が続いていくことを嫌がったカルロは、ブルボン家カルロナポリ王カルロを名乗っていました。

ナポリの芸術・文化発展への貢献

カルロは啓蒙主義の代表的な国王として知られています。18世紀にヨーロッパで広まった革新的思想の先駆けとなった彼のまわりには知識人や芸術家、政治家がとりまき、人間の理性を尊重する今までにはなかった考え方を確立します。

芸術や文化に強く興味のあったカルロは、国王になってすぐ、自身のオノマスティコ(聖名の祝日)に合わせて当時のヨーロッパ最大級のサンカルロ劇場を建設、その他にもカポディモンテ宮殿やポルティチ宮殿、ヴェルサイユを参考にしたカゼルタ宮殿などの建設を進めました。

また、ナポリの貧しい人々を収容する施設アルベルゴデイポーヴェリをつくらせ、庶民の生活を支えるだけでなく、道徳教育にも力を入れました。この時代の多くの建造物の設計・建設に携わったのがルイジ・ヴァンヴィテッリ(Luigi Vanvitelli)です。彼は優秀な建築家で、カルロから多くのプロジェクトを任せられました。

国民に支持された国王

スペイン人でありながらナポリを愛していたカルロは、自らナポリ語を勉強するなど国民との距離縮ませるための努力も怠らず、国民からも尊敬される国王でした。

現在でもナポリ市民の間ではカルロ3世は素晴らしい国王として語られることが多く、ナポリ王国を築くきっかけとなったシャルル・アンジューとは対照的です。

1759年、カルロの兄にあたるスペイン国王フェルナンド6世が死亡し、彼には子どもがおらず後継者がいなかったため、カルロはスペイン国王となるためスペインに戻ることとなります。ナポリは彼の子どもであるフェルディナンドに託されます。(ちなみにこの時代は子どもができずに後継者問題がよく起きていましたが、カルロは13人という子女に恵まれました。)

カルロ3世
画像引用: wikipedia
ナポリ王
スペイン王
カルロ3世(カルロス3世)
家系ブルボン家
出生ー死去1716年1月20日ー
1788年12月14日(72歳)
両親フェリペ5世
エリザベッタ・ファルネーゼ
マリーア・アマリア・デ・サホニア
子どもカルロス4世
フェルディナンド1世
など計7人

主な功績

・サンカルロ劇場(Teatro San Carlo)
・ポルティチ宮殿(Reggi di Portici)
・カポディモンテ宮殿(Reggia di Capodimonte)
・カゼルタ宮殿(Reggia di Caserta)
・カロリーノ水道橋(Acquedotto Carolino)
・フォロ・カロリーノ(Il Foro Carolino)
・アルベルゴ・デイ・ポーヴェリ(Albergo dei Poveri)
・ポンペイ遺跡の発掘(Scoperta di Scavi di Pompei)
・エルコラーノ遺跡の発掘(Scoperta di Scavi di Ercorano)
・ナポリ王宮の改修(Restauro di Palazzo Reale)
・カポディモンテ陶器工場の建設(Real Fabbrica di Porcellana)
・ナポリ美術アカデミーの設立(Accademia belle arti)

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