カンツォーネといえばナポリ
イタリア語でカンツォーネ(Canzone)は"歌"という意味であり、年代やジャンルを問わず音楽の楽曲の事を指しますが、日本ではカンツォーネというと、主にイタリアの1800年代後半~1900年代半ばにかけてつくられた大衆音楽のことを指します。
そのカンツォーネのメッカと言えばイタリアのナポリ。歌を歌うのが大好きなナポリの人たちは、はるか昔から貧しいながらもこうしたカンツォーネを周りの友人たちと一緒に歌い、踊って暮らしたといいます。
今回はそんなナポリの人たちの生活に欠かせないカンツォーネの名曲を12曲厳選して紹介いたします。どれも有名な曲ばかりなので、どこかで聞いたことがあるかも。カンツォーネを覚えて、ナポリ旅行の際は現地の人と合唱なんていうのも楽しいですね!
1‘O Sole mio
言わずと知れた名曲中の名曲、オ・ソーレ・ミーオ(O' Sole mio)。「私の太陽」と訳されるこの曲は、まさに太陽と海がシンボルのナポリにぴったりのタイトルです。愛する女性を太陽に例えているラブソングで、エドゥアルド・ディ・カプア(Eduardo di Capua)によって作曲されました。
ヨーロッパを回ってコンサートをしていたエドゥアルドは、オデッサから見た美しい黒海とナポリの海を重ね合わせ、故郷を想いながらこの曲をつくったと言われています。実際にナポリを見たことがなくても、この曲を聴いているとなんだか懐かしい気持ちになってくるから不思議です。
詳しくは→【オーソレミオ】世界で歌われるナポリのカンツォーネの意味と誕生秘話
オ・ソーレ・ミーオ(O' Sole mio)
作詞: ジョヴァンニ・カプッロ(Giovanni Capurro)
作曲: エドゥアルド・ディ・カプア(Eduardo Di Capua)
歌い手: ーーー
年: 1898年
2Reginella
ナポリではカンツォーネといえばこの曲!というほど有名で、1917年リベロ・ボヴィオ(Libero Bovio)によって書かれました。タイトルのレジネッラ(Reginella)は「お嬢さま、女王さま」といったニュアンスがあり、歌詞中に登場するかつての恋人のことを意味しています。ガエターノ・ラマ(Gaetano Lama)による曲もさることながら、この曲の良さは儚い恋心を歌った歌詞だと思うので、少し内容をご紹介します。
カフェ・コンセールという飲食をしながら歌や踊りのショーを楽しむ店が流行っていた当時のナポリ、リベロは偶然トレド通りで以前交際していた女性を見かけます。彼女はカフェ・コンセールで働いているようで、露出の多いエレガントな服を着こなし、フランス語を話し、他の歌い手などと歩いていました。すっかり垢ぬけた彼女の姿を見て、交際していた頃の質素ながらもふたりで歌ったり愛し合った日々を想い出し、実ることなく終わった儚い恋をうたった一曲となっています。
レジネッラ(Reginella)
作詞: リベロ・ボヴィオ(Libero Bovio)
作曲: ガエターノ・ラマ(Gaetano Lama)
歌い手: ーーー
年: 1917年
3Torna a Surriento
音楽の教科書などにも載っていて、日本人に馴染みの深い楽曲のひとつがこの帰れソレントへ(Torna a Suuriento)です。1902年、作曲したのはデ・クルティス兄弟(De Curtis)で、当時のイタリア首相ザナルデッリ(Giuseppe Zanardelli)の来訪に際して作曲されました。
ソレントを離れてしまう恋人に、ソレントに帰ってきてほしいと語りかけるちょっぴり悲しいラブソングです。ナポリだけでなくイタリア全土で色褪せない人気の歌で、100年以上たった今でも多くの歌手が帰れソレントへを歌っています。
詳しくは→【帰れソレントへ】誕生ストーリーと歌詞の意味
帰れソレントへ(Torna a Suuriento)
作詞: ジャンバッティスタ・デ・クルティス(Giambattista De Curtis)
作曲: エルネスト・デ・クルティス(Ernesto De Curtis)
歌い手: ーーー
年: 1894年
4Tammurriata Nera
タンバリンの心地良いリズムで踊られるカンパニア州のダンス、タンムリアータの代表的存在で、「黒いタンムリアータ」という意味のタンムリアータ・ネーラ(Tammurriata Nera)。この曲は1944年エドアルド・ニコラルディ(Edoardo Nicolardi)作詞、マリオ(E. A. Mario)作曲でつくられました。
実は陽気なリズムとは裏腹に歌詞の内容は少しショッキングなんです。この曲がつくられた当時のナポリは第二次世界大戦中で、町はアメリカ兵の占拠下にありました。当時の状況下で生きるためにやむを得ずアメリカ兵との間に関係を持ち、身ごもった若い女性が"黒い肌"の子どもを出産することがよく起きていたといいます。
この曲ではそんな悲惨な状況にあったナポリの女性たちが我が子をアントニオやチーロといったナポリの典型的な名前で呼ぶことで気丈に振る舞う様子と、黒い肌という逃れられない現実の皮肉さが描かれています。
タンムリアータ・ネーラ(Tammurriata Nera)
作詞: エドアルド・ニコラルディ(Edoardo Nicolardi)
作曲: マリオ(E. A. Mario)
歌い手: ーーー
年: 1944年
5Malafemmena
1951年、ナポリの偉大な俳優・コメディアンであるトトによってかかれた曲です。マラフェンメナ(Malafemmena)とはナポリ語で「悪い女」という意味ですが、トトの意味するmalafemmenaは魅力的で男性を惹きつけて困らせる、小悪魔的な女性のことを指しています。
このmalafemmenaのモデルとなったのは1950年にトトのプロポーズを断ったとされるイタリア人女優シルヴァーナ・パンパニーニ(Silvana Pampanini)に向けられたものとされていましたが、実際にはトトの妻で1950年まで夫婦の仲にあったディアナ・ロリャーニ(Diana Bandini Rogliani)への歌だったようです。
マラフェンメナ(Malafemmena)
作詞: トト(Totò)
作曲: トト(Totò)
歌い手: マリオ・アッバーテ(Mario Abbate)
年: 1951年
6Funiculì Funiculà
日本でも「鬼のパンツ」という替え歌で親しまれているフニクリフニクラ(Funiculì Funiculà)は、実はナポリのカンツォーネ。ヴェズヴィオ火山の麓から火口付近までつながっていたフニコラーレと呼ばれるケーブルカーの開通に際して作曲されたコマーシャルソングなんです。
ピエディグロッタ音楽祭でお披露目されたフニクリフニクラは1年で約100万枚を売り上げるほどの大ヒットとなりました。肝心のケーブルカーはというと、売り上げが伸びることはなく間もなく廃線となってしまいました。
詳しくは→【フニクリフニクラ】ナポリで生まれた世界初のコマーシャルソングの歌詞の意味と誕生ストーリー
フニクリフニクラ(Funiculì Funiculà)
作詞: ジュセッペ・トゥルコ(Giuseppe Turco)
作曲: ルイジ・ダンツァ(Luigi Denza)
歌い手: ーーー
年: 1880年
7‘O Surdato ‘Nnamorato
ナポリのトラットリアで働いていた時に、週末は必ずギターを片手に歌いに来ていた流しの音楽家がいたのですが、その人が必ず歌っていて、すごく盛り上がっていたのがこのオ・ソルダート・ンナモラート(O' Surdato 'namorato)です。しっとりと歌うナポリ民謡が多い中で、この曲はみんなで踊って歌うような賑やかな楽曲で、ナポリのサッカーチームの応援ソングとしても一種の聖歌のように度々歌われています。
作曲されたのは第一次世界大戦真っ只中の1915年、戦場にかりだされた若者が故郷に残してきた恋人に語りかける歌詞となっています。特にサビの部分は、生死を懸けた過酷な環境にいながらも、気丈に振る舞い恋人へのストレートな愛の告白をする歌詞がジーンときます。(以下サビ部分の訳↓)
Oje vita, oje vita mia
oje core 'e chistu core
si' stata 'o primmo ammore
e 'o primmo e ll'urdemo sarraje pe' me!
おお 命、おお私の命よ
おお この心の心よ
あなたは私の初めての愛だった
そしてあなたは私にとって初めてで終わりの愛だ!
オ・ソルダート・ンナモラート(O' Surdato 'namorato)
作詞: アニエッロ・カリファノ(Aniello Califano)
作曲: エンリコ・カンニオ(Enrico Cannio)
歌い手: ーーー
年: 1915年
8Tu Vuò Fa' L'Americano
1956年、レナート・カロソーネ(Renato Carosone)によって作曲されたトゥ・ヴォ・ファ・アメリカーノ(Tu Vuò Fa' L'Americano)は直訳すると「お前はアメリカ人をしたい」という意味で、第二次世界大戦後のアメリカ化が進むイタリアを風刺したような楽曲となっています。
ウイスキー、ソーダ、ロックンロール、ベースボールなどでアメリカ人みたいに振る舞おうと格好つけながらも、キャメルのたばこのお金はまだ親のお金で買ってもらってるんだろという、当時のナポリのアメリカに憧れる若者の様子が描写されています。戦後間もなかったため批判的な意見もありましたが、陽気なジャズスウィングのこの楽曲はたちまち人気となりました。
トゥ・ヴォ・ファ・アメリカーノ(Tu Vuò Fa' L'Americano)
作詞: 二コラ・サレルノ(Nisa)
作曲: レナート・カロソーネ(Renato Carosone)
歌い手: レナート・カロソーネ(Renato Carosone)
年: 1956年
9'O Sarracino
こちらオ・サラチーノ('O Sarracino)もまたレナート・カロソーネ(Renato Carosone)による楽曲です。サラチーノとはのアラブ系イスラム教徒を指すことが多く、歌詞にはこのアラブ系のイスラム人がナポリの女性たちの心を魅了していく様子が描かれています。
当時のナポリでは肌の色が濃く、天然パーマの黒髪、くわえたばこをしながらポケットに手を突っ込んで歩いているようなちょっと悪い風貌の男性が女性に受けていたのでしょうか。レナート・カロソーネの楽曲にはこうして時代背景が反映されているものが多く興味深いです。
オ・サラチーノ('O Sarracino)
作詞: 二コラ・サレルノ(Nisa)
作曲: レナート・カロソーネ(Renato Carosone)
歌い手: レナート・カロソーネ(Renato Carosone)
年: 1958年
10Luna Rossa
忘れてはいけないのが戦後のイタリアで大ヒットとなった「赤い月」というタイトルのルーナ・ロッサ(Luna Rossa)。ヴィンツェンツォ・デ・クレシェンツォ(Vincenzo De Crescenzo)作詞、 アントニオ・ヴィアン(Antonio Vian)によってつくられたこの曲は方言なども含めて42か国語に翻訳され、世界的に愛されている名曲です。
夜中の3時、愛する人がバルコニーから顔を出すんじゃないかとひとり道を歩く男。淡い期待を胸にとぼとぼと夜道を歩きながら赤い月に話しかけ、彼女が顔を出してくれるかと尋ねてみてみるも、月は「ca nun ce sta nisciune!(ここには誰もいないよ!)」と答えるちょっと寂しい一曲です。
ルーナ・ロッサ(Luna Rossa)
作詞: ヴィンツェンツォ・デ・クレシェンツォ(Vincenzo De Crescenzo)
作曲: アントニオ・ヴィアン(Antonio Vian)
歌い手: ジョルジョ・コンソリーニ(Giorgio Consolini)
年: 1950年
11'A città 'e Pulecenella
こちらは今までの曲よりも年代の新しい曲で、直訳すると「プルチネッラの町」という意味のア・チッタ・エ・プルチネッラ('A città 'e Pulecenella)です。クラウディオ・マットーネによって作詞、作曲されたこの曲はカオスで犯罪が多い暗い面も写しながらも、それすらも魅力のひとつとなってしまうほど人を惹きつける唯一の町であるナポリを歌っています。
方言たっぷりで歌われる歌い方と、頭に残るリズムが大ヒットし、発表以来、様々なナポリ出身アーティストにより歌われています。ナポリのピッツェリアなどでもよく流れています。
ア・チッタ・エ・プルチネッラ('A città 'e Pulecenella)
作詞: クラウディオ・マットーネ(Claudio Mattone)
作曲: クラウディオ・マットーネ(Claudio Mattone)
歌い手: サルダヴィンチ、ジジダレッシオなど
年: 1989年
12Napule
最後に紹介するのはジジ・ダレッシオ(Gigi D'Alessio)、ルーチョ・ダッラ(Lucio Dalla)、サル・ダ・ヴィンチ(Sal Da Vinci)、ジジ・フィニツィオ(Gigi Finizio)の4人による曲で、ナプレ(Napule)です。
いわゆるカンツォーネ、ナポリ民謡としては新しすぎるので少しジャンルは違いますが、ナポリを代表する一曲としてぜひ聴いていただきたい一曲です。このイントロがかかるだけでナポリ好きな人はワクワクするはず。歌詞にはナポリ王朝や革命家マサニエッロ、ピッツァマルゲリータ、サンジェンナーロ、トトなど、ナポリの歴史についてが語られています。
ナプレ(Napule)
作詞: ジジ・ダレッシオ(Gigi D'Alessio)など4人
作曲: ジジ・ダレッシオ(Gigi D'Alessio)など4人
歌い手: ジジ・ダレッシオ(Gigi D'Alessio)など4人
年: 2004年
オススメのカンツォーネCD
ナポリの楽器マンダリンに合わせて、テナー歌手のルチャーノ・カタパーノによるナポリ、イタリアの「愛」にまつわるカンツォーネを収録した1枚です。
上記で紹介した「オーソレミオ」や「フニクリフニクラ」などの他、ウィルマ・ゴイクの「花のささやき」、ジリオラ・チンクエッティの「夢見る想い」など、どれも日本人にも馴染み深いナンバーが並びます。
オペラ界を代表するイタリア人歌手のパヴァロッティのCDは聴きごたえ十分。
三大テノールとして多くの人の心を魅了したパヴァロッティが歌うカンツォーネは必聴です。上記で紹介したO' Surdato 'namorato(日本のタイトルは恋する兵士)も収録している数少ないCDです。
イタリア好きにとってはたまらない大人気のBS日テレ番組「小さな村の物語」の音楽集。
テーマ曲であるオルネラ・ヴァノーニの「逢いびき」はもちろん、有名なカンツォーネだけでなく、最近のイタリアンポップまで幅広く収録されています。全100曲というボリュームで、飽きることなくイタリアの音楽を聴ける最高のCDボックスです。