世界中の多くの国で5月1日は労働者の日・メーデーとして祝われ、イタリアでもフェスタ デイ ラヴォラトーリ(festa dei lavoratori)といわれ、祝日となっています。
メーデーの歴史
シカゴでのストライキ
メーデーのはじまりは1886年5月1日にシカゴで起きた大規模なストライキが発端とされています。
当時の労働環境は過酷なもので、一日12時間労働は当たり前、時には16時間にも及んでいたといいます。また、安全面でも対策がほとんどされておらず、毎日のように労働災害が起きていました。このストライキで労働者は、主に8時間労働制などの労働条件の改善を要求し、人間らしい生活を訴えました。
ヘイマーケット事件
シカゴでのストライキは3日間にも及び、5月4日にはシカゴ市内のヘイマーケット広場に抗議集会のため集まっていた労働者と警察の間で武力衝突が発生、合わせて11人もの死者がでる事態となりました。
ヘイーマーケット広場での悲惨な事件は"ヘイマーケット事件"として世界中で報道され、メーデー設立への大きな足掛かりとなりました。
●労働条件改善を訴えるスローガン
労働者によるストライキの際には1855年オーストラリアで生まれた8時間労働を訴えるスローガンが多くの国で用いられました。
"8時間の労働、8時間の楽しみ、休息のための8時間を"
"8 ore di lavoro, 8 di svago, 8 per dormire"
ヨーロッパでの広がり
パリでの第一回大会
ヨーロッパでは、シカゴでのストライキから3年後の1889年7月20日、フランス・パリで第二インターナショナルの第一回大会が開かれ、ここでも8時間労働制やメーデーの国際化などのマニフェストが議題に上がりました。
その際にシカゴでのストライキのエピソードをふまえ、5月1日を労働者の日とすることとされました。
イタリアでのメーデーの制定
イタリアではパリの第一回大会の2年後にあたる1891年にはメーデーが労働者の日として認められました。
その後、1924年からの約20年間のファシズム政権では日にち4月21日に繰り上げて祝われ、第二次世界大戦後の1945年に再び5月1日を労働者のための祝日として制定しました。