【ロベルト1世】ナポリ王国に安定をもたらした賢明王 -Roberto I d'Angiò-
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人物紹介

三男ながらナポリ王となったロベルト

ロベルトはシャルル2世とマリア・ドゥンゲリアの三男として生まれました。長男のカルロ・マルテッロはハンガリー王の王位を請求するものの1295年に23歳という若さで死去。次男のルドヴィコは聖職者として生きる道を選んだため(のちに聖人とされます)王位を辞退、ナポリ王は三男のロベルトが受け継ぐこととなりました。

シチリア晩祷戦争中の結婚

ロベルトが王になる前の13世紀後半、アンジュー家アラゴン家はシチリア半島を巡り争っていましたが、お互いが和解を模索する中、1297年ロベルトはアラゴン家のペドロ3世の娘であるヨランダと結婚します。この二人からはカラブリア公となり、ジョバンナ1世の父となるカルロ、ルイジの二人の子どもが生まれます。この結婚でも両家の争いが収まることはなく、1302年のカルタベッロッタの和平にてようやく収拾がついた形となります。

悲劇なことに、1297年の結婚からわずか5年後にヨランダは夫ロベルトの王位継承を見ることなくこの世から去ってしまいます。妻を失ったロベルトは1304年にヨランダの従妹にあたるサンチャ・ディ・マヨルカと再婚します。この二人の間には子供がありませんでしたが、夫婦仲は良好であったそうです。

ナポリに平穏をもたらしたロベルト1世

1309年にシャルル2世が亡くなると、ロベルト1世はナポリ王として即位します。知性的かつ大胆な政治を行っていたことから賢明王(il saggio)とも言われました。ナポリはロベルトの祖父に当たるシャルル・アンジューの時代からローマ教皇と強い関係があったため、イタリア国内では教皇派(Guelfi)とされていました。ロベルト1世も教皇派として皇帝派(Ghibellini)と対立しましたが、ナポリの安定を第一に望んだロベルト1世はフェデリーコ3世や皇帝との争いを避け、ナポリの王国繁栄に力を注ぎました。

シャルル・アンジューの到着から戦争が絶えなかったナポリに、ようやく安定と平和をもたらしたロベルト1世の時代には多くの教会や芸術、文化的な建造物がつくられました。中でもサンタキアラ教会とその回廊は素晴らしく、教会内には彼とその家族らのお墓も残されています。また、ボッカッチョ、ジョット、ペトラルカ、ティーノ・ダ・カマイーノなどの有名な芸術家も彼の下で多くの作品をこの世に送り出しました。

ロベルト1世
ナポリ王ロベルト1世
家系アンジュー家
出生ー死去1277年ー
1343年1月16日(65歳)
両親シャルル2世
マリア・ドゥンゲリア
ヨランダ・ダラゴーナ
サンチャ・ディ・マヨルカ
子どもカルロ(カラブリア公カルロ)
ルイジ
計2人

主な功績

・サンタキアラ教会(Chiesa di Santa Chiara)
・サンテルモ城(Castel Sant'Elmo)

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