アルフォンソ5世
人物紹介
獲得しそこなったナポリ王の座
1421年アラゴン王であったトラスタマラ家のアルフォンソ5世は、子どものいなかったナポリ女王ジョヴァンナ2世から後継者に指名されると、ナポリへと入ります。
アルフォンソ5世はジョヴァンナ2世の愛人で、大きな力を持っていたセルジャンニ・カラッチョロの存在を知ると、彼を捕らえてカプアーナ城に閉鎖しました。ジョヴァンナ2世に降伏を求めましたが、これは失敗に終わり、セルジャンニ・カラッチョロとジョヴァンナ2世はアヴェルサへと一時避難します。
完全にジョヴァンナ2世の反感を買ったアルフォンソ5世は後継者から外され、代わりにナポリ王争いの宿敵であったルイ3世・ダンジューが指名されることとなります。しかし、1434年ルイ3世・ダンジューはジョヴァンナ2世よりも先にこの世を去り、弟のルネ・ダンジューが跡継ぎとなります。1435年にジョヴァンナ2世が亡くなるとルネ・ダンジューはレナート1世としてナポリ王の座に着きます。
ナポリ王への執着
レナート1世がナポリ王となることに不服なアルフォンソ5世はアラゴン軍を率いてジェノヴァを相手にポンツァの戦いを起こします。その戦いには完敗したアルフォンソ5世はミラノ公の捕虜となりますが、巧みな交渉で釈放されると、そればかりがミラノ公を援軍として味方につけました。
アラゴン軍はミラノ公や地元ナポリの反レナートを掲げる貴族の力も借り、7年間に渡る戦いの末、1442年に悲願のナポリ王国獲得に成功。アルフォンソ5世はナポリ王アルフォンソ1世としてナポリ王となります。
アルフォンソ5世の下でのナポリの再建
ナポリ王となったアルフォンソ5世はナポリをとても気に入り、アラゴン本国はそっちのけで長年の戦いで悲惨な状況となっていたナポリの再建に資金をつぎ込みました。また、芸術・文化にも興味のあったアルフォンソ5世はアントニオ・ベッカデッリやロレンツォ・ヴァッラに代表される人文主義者を保護し、ナポリのルネサンスの発展に貢献しました。
カステルヌオーヴォの正面の入口にはアラゴン家の入城を記念してアルコ・ディ・トリオンフォ(凱旋門)がつくられました。他にもアラゴン家の統治下では、街を取り囲む壁の建設や、貴族の館など、戦いで破壊された街の再建が行われました。
ナポリの経済、文化、芸術の再生に大きく貢献したアルフォンソ5世ですが、ナポリ市民からはあまり良く思われてなかったようです。それは行政を担当していたアラゴン・カスティーリャ人のナポリ市民に対する横柄で暴力的な態度によるもので、無差別的にナポリ市民はひどい扱いを受けていました。
アルフォンソ5世もそうしたことがないように最大で死刑の罰則を設けて取り締まりましたが、ナポリ人の恨みはなかなか消えるものではありませんでした。
アラゴン王 ナポリ王 | アルフォンソ5世 アルフォンソ1世 |
家系 | トラスタマラ家 |
出生ー死去 | 1396年2月24日ー 1458年6月27日(65歳) |
両親 | フェルナンド1世 レオノール・デ・アルブルケルケ |
妻 | マリア・デ・カスティーリャ |
子ども | フェルディナンド1世(庶子) |