【フェッランディーノ】シャルル8世との攻防 アラゴン軍とともにナポリ奪回を果たした王 -Ferrandino d'Aragona-
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人物紹介

シャルル8世のナポリ侵攻

フェッランディーノは父であるアルフォンソ2世から王位を継承し、ナポリ王フェルディンド2世として即位しますが、当時フランス軍を率いたシャルル8世がナポリへと迫っていたため、即位してすぐに危機的状況に立ち向かう必要がありました。

イスキア島への避難

絶対的に軍事力で劣るフェッランディーノは従順な部下であるアヴァロス家アルフォンソを卵城に残し、ナポリを離れ、自分の家系であるアラゴン家が支配するイスキア島のアラゴン城へ避難することを選択します。14隻の軍艦を連れてイスキア島へと向かいますが、イスキア島を取り仕切っていたジュスティーノ・デッラ・カンディーダ総督はすでに裏でフランス軍と手を打っていて、フェッランディーノの上陸を拒否しました。

それでもフェッランディーノは話し合いを懇願し、一人アラゴン城へと入ります。フェッランディーノはジュスティーノの隙を見ると、隠し持っていた短剣で裏切者の首を討ちました。こうしてイスキア島に入ることに成功したフェッランディーノはここで1カ月ほど過ごします。

メッシーナでゴンサロ将軍との合流

フェッランディーノはイスキア島をアヴァロス家インニコに任せ、親戚でアラゴン王、シチリア王であったカトリック王フェルディナンド(フェルナンド)に助けを求めるため、メッシーナへと渡ります。ここでスペインから送られてきたゴンサロ将軍率いるスペイン兵と合流したフェッランディーノは再び国を取り戻すためにナポリを目指します。

その間、ローマ教皇アレクサンデル6世の呼びかけによってヴェネツィア共和国やミラノなどを含めた対フランス同盟(神聖同盟)が結ばれ、一気に形成が逆転し始めていました。

セミナラの戦いとナポリ王位奪回

フェッランディーノとゴンサロ将軍はフランス・スイス軍とカラブリアで衝突し、セミナラの戦いが勃発します。戦力で優っていたナポリ・スペイン軍は最初こそ優勢に戦いを進めるものの、騎兵と槍兵を組み合わせた戦術に対抗できず、敗戦を喫します。ちなみにゴンサロ将軍が敗れたのは後にも先にもこの一回のみで、この敗戦を期に火力塹壕を組み合わせた当時の最強戦術を考案した将軍として活躍します。

セミナラの戦いで敗戦したフェッランディーノですが、その後スペイン軍や神聖同盟軍、忠誠なナポリ義勇軍のおかげで再びナポリ王の座に返り咲くことに成功しました。

フェッランディーノ
画像引用: wikipedia
ナポリ王フェルディナンド2世
(フェッランディーノ)
家系トラスタマラ家
出生ー死去1469年8月26日ー
1496年9月7日(27歳)
両親アルフォンソ2世
イッポリータ・マリア・スフォルツァ
ジョヴァンナ・ディ・ナポリ
子どもなし

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