人物紹介
ナポリ初の女王の誕生
ナポリ王であったロベルト1世にはカラブリア公カルロとルイジの2人の息子がいましたが、二人ともロベルト1世の在位中に亡くなってしまいました。そのため、1343年にロベルト1世が死去すると、カラブリア公カルロの娘であるジョヴァンナがナポリ初の女王としてナポリを治めることになります。
身内での王座の奪い合い
ナポリ女王となったジョヴァンナ1世ですが、即位して間もなく彼女の地位を狙う輩があらわれます。その人物とはハンガリー王のラヨシュ1世で、ジョヴァンナにとってはとこ(シャルル2世の長男であるカルロ・マルテッロの長男、カーロイ1世の息子)にあたるアンジュー・ハンガリー家のいわば身内でした。
ジョヴァンナ1世は人生で4度の結婚を経験するものの、子どもには恵まれず、生まれたとしてもすぐに亡くなってしまいました。最初の結婚相手はナポリの王位を狙うラヨシュ1世の弟アンドレアでした。
ロベルト1世は生前、ジョヴァンナ1世とアンドレアの共同での王権を望んでいましたが、ロベルト1世の死後、ジョヴァンナ1世は自らが女王としてナポリを指揮するとし、アンドレアはあくまでサポート的な位置づけとしました。そんな中アンドレアはジョヴァンナ政権が始まってすぐの1345年に何者かに暗殺されました。暗殺に関わったのは、アンドレアがナポリ王として政権を行うことを恐れたジョヴァンナ1世の企てによるものだったとされています。
弟が暗殺されたことを知ったラヨシュ1世は1347年ナポリに出向き、ジョヴァンナ1世を追放、自身がナポリ王となろうとしますが、フランスに一時避難していたジョヴァンナ1世は再びナポリ入りすると、ナポリ王権を譲りませんでした。
ジョヴァンナ1世の暗殺
1382年ジョヴァンナ1世は子どもがいなかったため、フランス王ジャン2世の次男であり、ヴァロワ・アンジュー家の祖でもあるルイ1世・ダンジューを養子として迎え、彼に王位を継がせようと考えていました。しかしそれを阻んだのが、これまた身内のドゥラッツォ公カルロ(ロベルト1世の弟であるジョヴァンニの孫にあたる)です。カルロは、以前からアンドレア暗殺の件でジョヴァンナと犬猿の仲にあるラヨシュ1世の命を受けてジョヴァンナを暗殺。ドゥラッツォ公カルロはカルロ3世としてナポリ王となります。
ジョヴァンナ1世の養子としてナポリ王となるはずだったルイ1世・ダンジューはこの事にひどく怒り、激しくカルロ3世と争いました。しかしもはや年齢も若くないルイ1世・ダンジューは1384年に死去。カルロ3世もナポリ王になってからわずか4年が経った1386年に殺害されました。
ナポリ王の争いはお互いの息子たち、ラディズラーオとルイ2世・ダンジューへと引き継がれていきます。
ジョヴァンナ1世
ナポリ王 | ジョヴァンナ1世 |
家系 | アンジュー家 |
出生ー死去 | 1327年ー 1382年5月12日 |
両親 | カラブリア公カルロ マリア・ディ・ヴァロワ |
夫 | アンドレア・ドゥンゲリア ターラント公ルイジ マヨルカ王ジャウメ4世 グルーベンハゲン公オット |
子ども | 数人生まれるもいずれも早世 ルイ1世・ダンジュー(養子) |
カルロ3世
ナポリ王 (ハンガリー王) | カルロ3世 (カーロイ2世) |
家系 | アンジュー・ドゥラッツォ家 |
出生ー死去 | 1345年ー 1386年2月24日 |
両親 | グラヴィーナ伯ルイジ(ロベルト1世の弟であるジョヴァンニの子) |
妻 | マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ |
子ども | マリア ジョヴァンナ2世 ラディズラーオ1世 |
主な功績
・サンマルティーノ寺院(Certosa di San Martino)-カラブリア公カルロ
・サンテルモ城完成(Castel Sant'Elmo)-ジョヴァンナ1世