カプアーノ城
歴史地区エリアにあるトリブナーレ通り(Via dei Tribunali)を真っすぐ駅の方角に向かっていくと白い壁が特徴の質素でありながら荘厳な建物、カプアーノ城(Castel Capuano)にたどり着きます。
一見すると城のようには見えませんが、サンタルチアにある卵城に次いで古い城で、12世紀に建てられて以降、様々な時代背景の影響を受け、用途を変えながら現在に至ります。
カプアーノ城の歴史
ノルマン朝によるカプアーノ城の建設
カプアーノ城は当時ナポリを支配していたノルマン朝のグリエルモ1世(GuglielmoⅠ)によって1140年に王の居住の目的として建てられました。
グリエルモ1世は別名 "悪王(il malo)" というあだ名で知られていますが、それとは反対に実際には民主的で思慮深い王でした。"悪王(il malo)" というあだ名はその当時の彼の政治に反対する貴族たちからつけられたものです。この城は近くにあったカプアの街に続く門、カプアーナ門にちなんでカプアーノ城とよばれます。
アンジュー家の支配による影響
1231年ホーエンシュタウフェン朝のフェデリコ2世(FedericoⅡdi svevia)によって、初期の質素で軍の駐屯地のような外観や内部に手が加えられ、王宮らしい姿となりました。
ただ、王宮としての役割はそう長くは続きませんでした。フランスのアンジュー家シャルル1世(CarloⅠd'angiò)がナポリを征服すると、その以前から存在していた卵城やカプアーノ城に変わって "新しい城(ヌオーヴォ城)"を王宮として建てます。
ヌオーヴォ城の建設後は、城や王宮としての機能を失い、主に王族のメンバーや官僚の住居、著名な来賓客への宿、結婚式などのイベント場として使用されます。イタリア人学者で詩人のフランチェスコ・ペトラルカ(Francesco Petrarca)もカプアーノ城に招かれたといわれています。
スペイン領属時代でのカプアーノ城
1503年一時的にナポリを支配下としていたフランス ヴァロワ朝を追い払う形で、スペインが再びナポリ入りし、ナポリはスペインのナポリ総督が支配する属州となります。
スペイン領属時代にナポリ総督としてナポリの発展に大きく貢献した、スペイン人ペドロ・デ・トレド総督(Don Pedro de Toledo)によって、1540年よりカプアーノ城は司法裁判所としての機能を担うこととなり、現在でも民事裁判などが行われています。
カプアーノ城内部のみどころ
現在は裁判所として使用されていますが、内部見学も可能で、美しいフレスコ画や主に裁判所として使われてからの装飾や作品をみることができます。
・Salone della Corte d'Appello
天井のフレスコ画が見事な控訴裁判の間
・Sallone dei Busti
大理石でできた歴代のナポリ弁護団の上半身の彫刻が飾られた胸像の間
・Cappella della Sommaria
裁判官が裁判をする前にミサを聴いて待機していたとされるソンマリア礼拝堂
Castel Capuano
住所: Piazza Enrico de Nicola, 74, 80139 Napoli NA
最寄り駅: ナポリ中央駅(stazione centrale)から徒歩約10分
営業時間: 9:00~18:00 ※2020年2月現在 建物改修工事のため見学不可
定休日: 土・日・祝日(変更あり)
料金: 無料
公式サイト: http://www.fondazionecastelcapuano.it/