ポンペイ遺跡の歴史と絶対外せない見どころを徹底解説!

ナポリから南に約30kmほど下ったヴェズヴィオ火山周辺に位置する街、ポンペイ。

紀元79年におきたヴェズヴィオ火山の大噴火により、一瞬にして廃墟と化したこの街には、当時の古代ローマ時代の街の様子が驚くほどの状態で残されています。

今回はそんなポンペイ遺跡の見どころとその魅力をご紹介します。

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古代都市ポンペイとは

ポンペイは紀元前6世紀ごろにオスキ人やサムニウム人により建設されたとされる街で、その後紀元前1世紀ごろにはナポリや他のカンパニアの街と同様にローマの支配下となり、古代ローマの植民都市として発展しました。

当時のポンペイは海に面した港町で、港へはローマへの荷物や物資が届き、届いた荷物はアッピア街道を通り、ローマへと運ばれていきました。港町として繁栄する一方、ぶどう栽培に適した土地を生かしたワイン醸造や、魚の内臓をつかって製造されていた魚醤・ガルムなどの産業にも力を入れ、古代ローマの重要な拠点だったとされています。

また、娼婦館の発見や、発掘された遺跡の中からは男女の性にまつわる壁画やフレスコ画なども多くあり、「快楽の街」であったともいわれています。

ヴェズヴィオ火山の噴火

ヴェズヴィオ火山

そんな栄えていた街、ポンペイを襲ったのが紀元79年に起きたヴェズヴィオ火山の大噴火です。

もともと地震が頻繁に起こる地域で、この大噴火の約20年前にあたる紀元62年にもポンペイの街には大きな地震がおそっていました。街はその地震からの再建真っただ中で、ポンペイの建物や神殿は修復工事の途中でした。

そんななか起きたヴェズヴィオ火山の噴火により街には火山灰や軽石が降り続け、街の人々は家屋に閉じこもるなどして事態の収束を願っていました。しかし、事態は収まるどころか悪化、さらには地震なども発生し、家屋倒壊により屋根の下敷きになったり、ガスにより窒息死する人々もいたようです。

噴火発生から約12時間後に火砕流が発生。高温ガスや岩石、火山灰などが一気に街になだれ込み、瞬く間にポンペイは埋め尽くされてしまいました。そのスピードは100km/hにも及ぶため、その時点で街にいた人たちに助かるすべはなかったといえます。

それでも約2万人といたとされるポンペイの人口の内、現在噴火により死亡したとされるのは約2千人ほど。未だに発掘されていないエリアなどが多くあるとはいえ、噴火の初動段階で避難に成功した人もおり、クーマやナポリ、オスティア、ポッツォーリなどの土地に移住していったようです。

遺跡の発掘作業

遺跡

およそ6mにも及ぶ灰に埋もれたポンペイの街は、下に街が埋まっているという認識はあったものの、時の流れとともに次第に忘れられていきます。

発掘作業がはじめられたのは1748年、当時ナポリを収めていたスペイン国王のカルロス3世によって進められ、現在でも発掘作業は進行中です。カルロス3世はナポリを気に入り、多くの政策を打ち出し、ナポリ周辺の発展に大きく光景したことで知られています。

ポンペイの発掘が進み、遺跡が発見される度にその保存状態の良さに誰もが驚きました。古代ローマ時代のフレスコ画の鮮やかな色使いや、装飾された壁や建物、生活感をリアルに感じ取れる食器の並べられたテーブルや焼いたパン、飼育されていたと思われる馬の骨など、当時の古代ローマ時代の生活ぶりがそのまま保存されていたのです。

これは火砕流によって積もった火山灰が大きく関係しています。堆積された灰には乾燥剤としてつかわれるシリカゲルと似たような成分が含まれていて、この成分を含んだ灰によって湿気から守られ、フレスコ画や美術品の劣化を防いでいたのです。

また、1863年に発掘総監督に就任したジュセッペ・フィオレッリ(Giuseppe Fiorelli)は、灰に埋められた遺体の部分が長年の時を経て腐敗消失し、空洞になっていることを発見。彼は空洞部分に石膏を流し込み、噴火当時の人々の様子を型にして再現しました。

再現された人の型には、髪や歯、表情、苦しむ様子などが生々しく浮かびあがり、当時の噴火の恐ろしさを物語っています。これらの人の型はポンペイ遺跡の各所に展示され、訪問者は噴火のリアルさを常に感じさせられます。

発掘作業は今も尚続いており、新たな遺跡が繰り返し発見されています。

ポンペイ遺跡の見どころ

そんなポンペイ遺跡は1997年に世界遺産に登録され、世界中の人々が一目見ようと訪れます。

ポンペイ遺跡はひとつの街全体が遺跡となっているので、とにかく広い!66ヘクタール(東京ドーム約10個分)とのことで、ひとつひとつ見て回ろうと思ったら丸一日は余裕でかかってしまうでしょう。

ポンペイ遺跡内は1~9つの区画に分かれていて、特に外せないのはマリーナ門から入ってすぐの第7地区、第8地区、第6地区かと思います。見学時間に応じてどこの区画までいくか決めるといいでしょう。ポンペイ遺跡のマップはこちらからどうぞ→公式のポンペイ遺跡マップ

そんな広いポンペイ遺跡ですが、ここは外せないという見どころを地区ごとにご紹介していきます。

第7地区(Ⅶ)

ポンペイ遺跡のメイン入口であるマリーナ門から入場すると、一番最初に入ることになるのがこの第7地区です。

第7地区はポンペイ遺跡の中でも古いエリアで見どころがたくさんあり、多くの人で混雑します。

フォロ(Il Foro)

フォロ

ポンペイの街の中心的な広場として有名なのがフォロ(il Foro)。

この広場を中心に人々は集まり、広場に面してアポロの聖域やジュピター神殿などの信仰に関する建物、司法や商取引としてつかわれたバジリカ、行政を担ったコミニティウムと市庁舎などが点在しています。

建物、市場、街の大広場を指すフォロはラテン語でフォルム(Forum)と呼ばれ、英語のフォーラムの語源にもなりました。

アポロの聖域(Santuario di Apollo)

アポロ聖域

アポロの聖域(Santuario di Apollo)はポンペイで最も古い信仰の場所の一つで、マリーナ門から上って町の中心部へと進む道に沿って、重要な位置に建てられています。

ポンペイ設立の信仰の神としてアポロが選ばれたのはカンパニアに移住してきたギリシャ人たちのアポロに対する信仰心によるようです。深い地層への発掘によって出土した壺や奉納品、テラコッタ製の装飾などから、紀元前6世紀ごろにはすでにここに神殿が立っていたと判明しています。

聖域内にはアポロと双子のディアーナのブロンズ像を見ることができます。(オリジナルはナポリ考古学博物館所蔵)

ジュピター神殿(Tempio di Giove)

ジュピター神殿

フォロの北側に位置し、ヴェズヴィオ火山をバックにした荘厳な雰囲気漂うのがジュピター神殿(Tempio di Giove)です。

ローマの植民都市として支配されてからつくられたジュピター、ユノー、ミネルヴァの三神が祀られています。高い基壇の上に建っていて、フォロにいる誰もが神殿を見ることができます。基壇の下には地下空間があり、神々に対する奉納物や街の公共の財産が保管されていたと考えられています。

ジュピター神殿の両脇には名誉のアーチ(Archi Onorari)が建てられ、東側のアーチ跡は第3第ローマ皇帝カリグラに捧げられ(わずかに基盤が残っているのみ)、西側のアーチは第2代ローマ皇帝ティベリウスの息子ドルススに捧げられたものでした。東側アーチ跡の奥にはもうひとつアーチがつくられ、これはもう一人の養子息子で軍人のゲルマニクスに捧げられたものと言われています。

フォロの穀物倉庫(Granai del Foro)

フォロの穀物倉庫

フォロの西側、レンガの柱で仕切られた建物がフォロの穀物倉庫(Granai del Foro)です。

穀物倉庫という名前は発掘当初につけられた名前で、実際は果物や野菜の市場として使われていたことがその後の研究で分かっています。

今日ではポンペイ最大の考古学品の倉庫としてつかわれていて、出土した鍋や壺などのテラコッタ製品、かまどや水差し、瓶、油や葡萄酒などを運搬するための大きな容器、テーブルなど約9千点以上が収蔵されています。

また、石膏により復元された犠牲になった人々や動物、樹木などの石膏が並べられており、当時の噴火の恐ろしさを感じとることができます。

※ここ最近は出土した遺跡はマチェルムに所蔵されています。(2025年5月現在)

スタビアーネ浴場(Le Terme Stabiane)

スタビアーネ浴場

ポンペイにある浴場の中でもとりわけ有名なのがこのスタビアーネ浴場(Terme Stabiane)です。

メインの入り口を入ると左手にはプール、右手の柱廊の先には男性用の浴場へとつながっています。浴場はまず脱衣所、つぎに低温、中温、高温の浴室へと続いています。婦人用は男性用の背後に位置し、規模は小さいながらも同様の設備がありました。

ルパナーレ・遊郭(Il Lupanare)

ルパナーレ

ポンペイのリアルな生活を垣間見ることができるのがルパナーレ(Lupanare)と呼ばれる遊郭です。

娼婦として働く女性は東方やギリシャからの奴隷で、銅貨2~8アスで商売していました(ワイン1杯が約1アス)。2階建てになっていて、2階部分は主人や娼婦の住居として使われていました。

1階部分は5つの部屋からなり、それぞれの部屋に石と漆喰でできたベッドが備わっています。入口はカーテンでしきられ、廊下の壁には官能的な絵の装飾を見ることができます。この絵で提供されるサービスを表していました。

ちなみにルパナーレとはラテン語のルーパ(Lupa)からきており、ルーパとは現在でもつかわれる「狼」という意味の他に、「娼婦」を意味する言葉でした。

その他の第7地区の見どころ

その他にも第7地区には見どころがたくさんあります。

フォロに面していて魚の市場としてもつかわれていたマチェルム(Macellum)、商取引でつかわれていた量りが置いてあるポンデラリアの食堂(Mensa Ponderaria)、個人的にスタビアーネ浴場より好きで、ジュピター神殿の後ろに位置するフォロ浴場(Terme del Foro)、立派な窯と臼が残る卸のパン工房(Panificio di Popidio Prisco)なども一見の価値ありです。

第8地区(Ⅷ)

ポンペイ遺跡の一番南に位置する第8地区は、アッボンダンツァ通りといういわゆる商店街のような大きな道が通っていて、両脇に商店が連なっています。またフォロにも面していて、バジリカやコミティウムなどの建物が残っています。

大劇場や小劇場などのローマ人にとっての娯楽施設もあり、当時は多くの観客等で賑わっていたエリアと言えるでしょう。

バジリカ(Basilica)

バジリカ

フォロ広場に面する広大な敷地を持つバジリカ(Basilica)は、裁判や商取引につかわれていました。

フォロから凝灰岩の柱の間に開いている5つの入り口を通じて中に入ることができ、内部はレンガでできたイオニア式の柱頭を持つ2列の円柱によって3つの廊に分かれています。

西に面した短い方の側面の中央には見事な装飾を施した特別席があって、裁判の際にはここに司法官たちが座りました。

コミティウム・市庁舎(Comitium)

コミティウム

フォロの南東に位置する建物はコミティウム(Comitium)と呼ばれ、選挙に関する組織が所在し、開票作業などが行われました。選挙時にはフォロが投票所となっていたようです。

3つ並ぶ市庁舎の建物は行政官によって会議や重要な記録などの保管につかわていました。火災による延焼を防ぐため、建物の間は空間を隔てた二重構造になっていて、そんなところからもローマ人の頭の良さが垣間見れます。

大劇場と小劇場(Teatro Grande e Piccolo)

大劇場

紀元前2世紀ごろにサムニウム人によって建てられたとされる大劇場(Teatro Grande)は、約5000人を収容し、丘の自然な傾斜を利用して建設されました。その後ローマ人によってステージや日除けのヴェールなどが付けられ、ローマが上演されていました。

大劇場のすぐ近くにある小劇場(Teatro Piccolo)はローマ人が移り住んだ後に建てられた劇場で、大理石で装飾され、天井は音響効果を高めるために完全に覆われていました。小劇場では約1000人ほどを収容でき、当時の流行りの無言劇や音楽会などが行われていました。

これらの劇場の近くにはサムニウム人の体育場(Palestra Sannitica)や劇場の観客たちがくつろいだりしたとされるクアドリポルティコ(Quadriportico)や剣闘士の宿舎(Caserma dei Gladiatori)なども見ることができます。

アッボンダンツァ通り(Via dell'Abbondanza)

アッボンダンツァ通り

フォロから延びる大きなアッボンダンツァ通り(Via dell'Abbondanza)には両脇に商店が並んでいます。

道には馬車の通る道と歩道が区別されていて、馬車の道を渡る際には大きな石が並んだ「横断歩道」を歩いて渡ります。この時代にこんなシステムまで造り上げていたローマ人、おそるべし!

その他の第8地区の見どころ

他にも第8地区には劇場周辺を中心に見どころがたくさん。

ポンペイで最も古い紀元前6世紀ごろにつくられた聖域といわれる三角のフォロ(Foro Triangolare)、非常に状態の良いイシス神殿(Tempio di Iside)、白黒のモノクロトーンで描かれた迷宮模様や、チェスボード模様の床が素敵な豪邸のモザイクの家(Casa dei Mosaici Geometrici)、赤い特徴的な壁を持つ赤い壁の家(Casa delle pareti rosse)、などがあります。

第1地区(Ⅰ)

第8地区から北東へとアッボンダンツァ通りをさらに進んでいくと、第1地区へ出ます。

第1地区にはたくさんの家があるのが特徴。保存状態の良いフレスコ画や、私設の浴場などもあり、ポンペイの優雅な暮らしぶりを推測することができます。

チェトラ奏者の家(Casa del Citarista)

チェトラ奏者の家

2700平方メートルに及ぶ広さのチェトラ奏者の家(Casa del Citarista)は、ポンペイで最も大きな家の一つで、もとは所有者が異なっていた幾つかの建物を統合して造られています。

中央には池があり、その周りには2匹の犬に襲われるイノシシ、ライオン、鹿、蛇のブロンズ彫刻が置かれていました。これらの彫刻の口からは水があふれ出て、池に水を貯めるというおしゃれな装飾です。

この家から発見されたチェトラという弦楽器を弾くアポロのブロンズ像にちなんで名前がつけられました。

メナンドロの家(Casa del Menandro)

メナンドロの家

アッボンダンツァ通りから中に入ったところにある一つの大きな家は、メナンドロの家(Casa del Menandro)と呼ばれ、建築学的に複雑な変遷を経ていて、身分の高い一族の典型的な住居の好例です。

この家の中には小さな浴場施設があり、その下には地下室も発見されました。地下室には宴用の皿や食器、盃、ワイン用のピッチャーなどの118点もの銀製が入った箱も見つかり、現在は考古学博物館にて保管されています。

フッジャスキの菜園(L’orto dei Fuggiaschi)

フッジャスキの菜園

以前は住宅が立ち並んでいたこの空間は、噴火の数年前にブドウ畑に作り替えられ、夏の饗宴のためにトリクリニオ(宴会場)も建てられました。

ここからは大人と子供総数13体の遺体が確認されました。おそらく近くのノチェーラ門から外へ逃れようとするものの、すでに3.5mほど積もっていた火山灰と迫りくる火砕流を受けて亡くなってしまったものと思われます。そのことから、逃亡者の菜園を意味する、フッジャスキの菜園(L'orto dei Fuggiaschi)名付けられました。

13体の遺体は石膏により再現され、菜園の壁近くにある保護用ケースの中に展示されています。

テルモポリウム(Casa e Thermopolium di Vetutius Placidus)

テルモポリウム

アッボンダンツァ通りに面したこちらのテルモポリウム(Thermopolium)は、温かい食べ物や飲み物を提供するお店でした。

コの字になっているレンガ造りのカウンターには、大きなかめがすっぽり下半分入るようになっていて、比で温めて料理を提供していました。このようなテルモポリウムはポンペイの人々に人気で、他にも同じようなお店を多く目にすることができます。

かめのひとつからは、重さ約3キロの最後の日の売上と思われる硬貨が発見され、どれだけ商売として繁盛していたかが伺えます。

その他の第1地区の見どころ

アッボンダンツァ通り沿いには、クリプトポルティコの家(Casa del Criptoportico)やチェイイの家(Casa dei Ceii)など面白い家が並びます。他にも第1地区には、4つの異なるポンペイ様式を見れるクアットロ・スティーリの家(Casa di quattro stilii)、花のモチーフが描かれた大理石の床が美しいエフェボの家(Casa dell'efebo)などもあります。

ポンペイの人々の生活を想像しながら歩くと楽しいですね。

第2地区(Ⅱ)

ポンペイの一番東に位置する第2地区には街で最も賑わいをみせていた円形闘技場があります。

マリーナ門の入口から入ると一番遠い位置になるため、所要時間があまりない場合はパスされる方も多いかもしれません。円形闘技場を一目見たい人は、スタート地点をアンフィテアトロ広場入り口から入場して、下っていくのもオススメです。

貝のヴィーナスの家(Casa della Venere in conchiglia)

貝殻のヴィーナスの家

この貝のヴィーナスの家(Casa della Venere in conchiglia)の特徴はなんといっても美しい色の残ったフレスコ画です。ポンペイの守護神で、エロチシズムの女神でもあるヴィーナスが二人のキューピッドに伴われて貝の中に身を横たえたシーンが描かれています。

古代ギリシャの有名な画家アペレスのヴィーナスの海からの誕生を描いた「ヴィーナス・アナディオメデ」に着想を得たフレスコ画のようです。このようなヴィーナスを描いた絵には他にもあり、有名なボッティチェリ作「ヴィーナスの誕生」とも酷似しています。

もちろんボッティチェリの時代には未だポンペイは灰の中だったわけで、こんな似た風な構成になるのは興味深いです。

円形闘技場(Anfiteatro)

円形闘技場

古代ローマの闘技場のなかでも最も古いものとして知られているのが、ポンペイの円形闘技場(Anfiteatro)です。紀元前70年、ローマの植民都市となって間もなく小劇場とともにつくられました。

ポンペイだけではなく、沿岸地域の街からの人々も観客がやって来て、2万人ほどの人を収容できたというから驚きです。街の外れたところに建てたのも、人々の流動性を考慮したためです。

紀元59年にはポンペイとノチェーラの観客との間で流血事件が起き、10年間使用停止の命令が下りましたが、62年の地震の後はこの命令も廃止されていたようです。

その他の第2地区の見どころ

ポンペイの若者たちの身体と知識の形成を目的としてアウグスティヌス帝の時代につくられた大運動場(Palestra Grande)、ノチェーラという近隣の街へとつなぐノチェーラ門(Porta Nocera)、ブドウ畑だったフォロ・ボアーリオ(Foro Boario)などがあります。大運動場には、発掘された様々な遺跡が展示されていて、炭化したパンなどもあり興味深いです。

第6地区(Ⅵ)

見どころいっぱい第7地区の西側に位置する第6地区ですが、こちらも見どころたくさん。

大きな家や豪華な装飾が目立つ高級住宅街といった印象の地区となります。

ファウノの家(La Casa del Fauno)

ファウノの家

ポンペイの住宅の中でも最も大きい住宅のひとつがファウノの家(La Casa del Fauno)です。

その大きさは3000平方メートルに及び、道路からみてもその豪華さと所有者の社会的地位が高いことが予想されます。入口付近の歩道にはラテン語で歓迎を意味する「HAVE」の文字も見ることができます。

メインのアトリウムには有名な彫刻で、家の名前にもなっているファウノの彫刻のレプリカがあります。また、二つのペリスティリウムの間にある居間(エセドラ)には、アレクサンドロス大王とペルシア王との「イッソスの戦い」をテーマにした、有名な紀元前2世紀のモザイクのレプリカもあります。

2つともオリジナルはナポリ考古学博物館にて所蔵されています。

悲劇詩人の家(Casa del Poeta Tragico)

モザイク画

アトリウムとタブリーノには洗練されたモザイクが残っていて、そのうちの一つの公演の準備をする役者たちのシーンが、悲劇詩人の家(Casa del Poeta Tragico)の由来となっています。

この家を有名にしたのは入口の床面にある犬のモザイク画です。「CAVE CANEM」と書かれたラテン語は猛犬注意という意味で、お土産にもこのモザイク画入ったグッズなどがよく売られています。

ヴェッティの家(Casa dei Vettii)

ヴェッティの家

ポンペイで最も有名な家といえるのが、こちらのヴェッティの家(Casa dei Vettii)。

ヴェッティウスという兄弟が所有する家で、もともと彼らは奴隷出身の自由民で、商売で成り上がった人たちでした。こうした奴隷にもチャンスがあるのが古代ローマっぽいところですよね。入口にある男の生殖力の神、プリアーポスの有名なフレスコ画がインパクトあります。

見事な装飾を施した部屋が集まり、中でもキューピッドたちが、ワインの販売や衣類の洗濯、花の栽培やブ
ドウの収穫、宝石細工の加工や香料の製造など、当時の製造活動にいそしむシーンを描いた壁画はとりわけ興味深い作品です。

ディオメデ荘(Villa di Diomede)

ディオメデ荘

面積3500平方メートルという広大な敷地のあるディオメデ荘(Villa di Diomede)は、発掘初期に発見された遺跡のひとつで、1800年代にポンペイを訪れる人にとって欠かせない目的地となっていました。

中にはトリクリニオ(宴会場)や美しい庭園、プールなどもあり、豪華で裕福な生活を感じ取れます。浴室に通じる扉の近くには2体の遺骸が発見され、そのうちの一体からは1346枚に及ぶセステルス貨幣の他、金の指輪と銀の鍵が見つかりました。

秘儀荘(Villa dei Misteri)

秘儀荘

中心部から少し離れた一番西側に位置するのが秘儀荘(Villa dei Misteri)と呼ばれる建物です。この建物の名前は、建物内の海を見晴らす居住部分に残る「秘儀の間」に由来しています。

秘儀の間にある三方の壁面を占める連続したフレスコ画は、古代の絵画の中でも最もよく保存された例の一つで、鮮やかな赤色は「ポンペイ・レッド」の代表ともいえるでしょう。

壁絵はディオニューソスという豊穣やワインの神に関するもので、信者のみが参加できる秘密の儀式の場
面が描かれています。

秘儀荘には出口もあり、ポンペイ遺跡見学の最終地点として訪れる人も多くいます。

その他の第6地区の見どころ

第6地区は高級住宅街だけあって、上記以外にも素晴らしい装飾や壁画のある家などが多々あります。

多色で素敵な噴水のある小さな噴水の家(Casa della Fontana Piccola)、小麦を挽く臼や立派な窯が残るパン焼き釜の家(Casa del Forno)、重厚な壁画が魅力のサルスティオの家(Casa di Sallustio)、水道の分配設備だったカステッルム・アクアエ(Castellum Aquae)、コリント式の支柱が見事なメレアグロの家(Casa di Meleagro)などなど、見どころがたくさんです。

第3、4、5、9地区(Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅸ)

今回はこちらの第3、4、5、9地区に関しては省略させていただきました。

特に3、4、5地区は未だに発掘作業が途中の段階で入れない場所が多くあります。

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ポンペイ遺跡へのアクセス

ポンペイ遺跡へはナポリから電車をつかってアクセスすることができます。

2つの鉄道会社があり、ヴェズヴィオ周遊鉄道(Circumvesuviana)をつかうか、トレニタリア社(Trenitalia)をつかってポンペイまでアクセスができます。

ナポリ周遊鉄道でポンペイへ

一番分かりやすい方法がチルクンヴェズヴィアーナ(Circumvesuviana)と呼ばれるヴェズヴィオ周遊鉄道で行く方法です。ポンペイへは「ナポリーソレント線」、「ナポリーポッジョマリーノ線」の2つの路線があります。

ポンペイ遺跡の目の前で、メインの入口であるマリーナ門に着くのは「ナポリーソレント線」です。「Pompei Scavi Villa Dei Misteri」という駅で降りましょう。

「ナポリーポッジョマリーノ線」で行くと、「Pompei Santuario」という駅で下車、巡礼聖堂として有名なロザリオの聖母の巡礼聖堂の近くに着きます。この場合約徒歩10分のアンフィテアトロ広場の入口から入場するのがいいでしょう。

ヴェズヴィオ周遊鉄道の始発はナポリ中央駅ではなく、ひとつ前のノラーナ門駅(Porta Nolana)なので、できればノラーナ門駅から乗れば、混雑を避けて椅子に座れたりもします。

ヴェズヴィオ周遊鉄道でポンペイへ

鉄道会社: Circumvesuviana(EAV)
路線: Napoli-Sorrento
チケット: 駅構内にて購入
料金: 片道3.3ユーロ
所要時間: 約40分
運行間隔: 約30分~1時間に一本

EAVの公式ホームページ

トレニタリア社でポンペイへ

トレニタリア社の電車をつかってポンペイへ行くことも可能です。

トレニタリア社の場合はサレルノ行きやバッティパッリャ行の路線に乗り、「Pompei」駅で下車します。アンフィテアトロ広場の入口まで徒歩で約10分ほどで着くことができます。

トレニタリア社でポンペイへ

鉄道会社: Circumvesuviana(EAV)
路線: Napoli-Sorrento(Battipaglia)
チケット: 駅構内にて購入
料金: 片道3.3ユーロ
所要時間: 約40~50分
運行間隔: 約30分~1時間に一本

トレニタリア社の公式ホームページ

ポンペイ遺跡への入口は3つ

ポンペイ遺跡への入口は3つあります。

  • マリーナ門(Porta Marina)
  • エセドラ広場(Piazza Esedra
  • アンフィテアトロ広場(Piazza Anfiteatro)

メインの入口はマリーナ門で、ヴェズヴィオ周遊鉄道のナポリーソレント線の駅である「Pompei Scavi Villa Dei Misteri」のほぼ目の前に当たります。お土産屋さんなどもあり、一番人気の入口です。ただ、混雑するので注意が必要です。

円形闘技場やフッジャスキの菜園などを見学したい場合はアンフィテアトロ広場(Piazza Anfiteatro)から入場すると、戻らなくていいのでオススメです。

秘儀荘(Villa dei Misteri)からも出られるので(出口専用)、ポンペイ遺跡見学の終わりに訪れるのがオススメです。

入口
マリーナ門入口
入口
アンフィテアトロ広場入り口

チケットはあらかじめネットで購入しておくと便利

ポンペイ遺跡は、遺跡の状態保護の観点から、一日の最高入場者数を2万人に設定しています。そのため、チケットはあらかじめネットで予約しておくと確実で便利です。ポンペイ遺跡公式サイトが推奨している予約サイトはこちら→ticketone

マリーナ門の入口は混雑しやすく、繁忙期や週末などは多くの観光客で並ぶこともしばしばあります。見どころがたくさんあるポンペイ遺跡だけに、入場はスムーズに済ませておきたいですね。

チケットは秘儀荘やディオメデ荘などの一部を含まない「Ingresso Express」と、ポンペイ遺跡全体の「Ingresso Plus」があります。見学したい場所や時間などもふまえて選ぶといいでしょう。

  • 「Ingresso Express」18ユーロ
  • 「Ingresso Plus」22ユーロ

尚、18歳以下は無料となります。パスポートは忘れずに。

ポンペイ遺跡内は、自分で遺跡を探して歩くのもいいですが、なにより広いのでガイドをお願いすることをオススメします。それか、9ユーロでオーディオガイド(日本語あり)も入り口近くのBOOK STOREで貸し出ししているので、こちらでもいいと思います。

なにより貸し出されるオーディオガイドにはGPSもついていて、ほぼ正確に自分のいる位置と、遺跡の位置が分かるため、遺跡見学の強い味方となります。

注意点としては、オーディオガイドを借りる際には身分証明書を預けることが条件になります。そのため、返しにまた戻ってくる必要があるので、入口と出口を別々にしたいという方は非推奨です。

オーディオガイド
遺跡解説ももちろんですが、GPS機能がすごく便利!

おわりに

いかがでしょうか。ポンペイ遺跡は広く、見どころがたくさんですよね!

石畳の床は日本人にとって慣れないため、普段以上に疲労を感じます。履きなれたスニーカーに、動きやすい服装で見学しましょう。

そして荷物は手が空くバッグがオススメですが、あまり余計なものは入れず、重くなりすぎないよう注意。また、ポンペイ遺跡は日陰の場所がほとんどなく、晴れた夏の日などは直射日光でとても暑くなります。防止などで暑さ対策も忘れずに。

事前に行きたい場所をチェックするなどして、準備万端でポンペイ遺跡見学を楽しみましょう!

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